学校の掃除は生徒がするべき?
「生徒が学校を掃除する」というのは、日本では当然と思うほど、見事に定着しています。日本の子供たちが、教育の一環として学校で掃除をすることは、人格形成に影響を与えると考えられています。
オーストラリアにおける学校の掃除
オーストラリアでは、生徒たちの「掃除の時間」は存在しません。先生も掃除をしません。
では、誰が?
オーストラリアの学校では、クリーナーが雇われています。朝、生徒が登校してくる前に掃除をし、授業が終わる頃から、また掃除を始めます。いつもきれいにしてくださるクリーナーさんに、とても感謝しています。
「日本の子供たちが掃除をすること」への反応
授業の中で、オーストラリアの生徒が日本の子供たちが学校の隅々を掃除をしているのを知ると、様々な面白い意見が飛んできました。
[生徒の感想/意見]
- チャイルド▪レイバーだ。
- 時間の無駄。(学習の時間が奪われる。)
- クリーナーが仕事を失う。
- いいとおもう。
- 私たちもやったらいいと思う。
- 衛生上問題がある。
“クリーナーの仕事がなくなる” という意見には、なるほどと思いました。でも、「掃除すること」をネガティブに考えていて、罰のようなものととらえている子供が多いように感じました。少数派ですが、肯定的にとらえ、自分達もやったらいいと思うと述べた子供もいました。
学校給食にしても、掃除にしても、日本の学校教育の中にちりばめられた人間教育のよさが伝わっていないと感じました。
授業時間内に「掃除の時間」を取り入れる
オーストラリアで異文化を持つ子供たちに、ガチガチの日本の学校教育を押し付けようというつもりはありません。難しいでしょう。でも、日本のいいところは取り入れたいと思いました。それがオーストラリアの生徒の人格形成に繋がり、地域、社会が良くなると思うからです。
きっかけ
オーストラリアの学校で教え始めた頃、生徒の物のあつかいかた、一人よがりな態度や言動にショックを受けました。
もちろん、これは日本にもある光景です。ですが、それがほぼクラス全体に見られたからです。一つの授業が終わり、生徒が教室を出ると、机上や床に落とし物が散乱。のりやペンのキャップがなかったり、使いっぱなしで放置されていたりしました。紙くずや消ゴムの消しかすが散乱。授業中に配ったプリントが置き去りにされることもしばしば。生徒にごみを拾うようにいうと、「僕のじゃありません。」とか「それはクリーナーの仕事です。」という言葉が帰ってきました。少し落胆すると同時に、自分を奮い立たせました。
「公共物を大切に扱うことができていない。」それ以前に、「自分の持ち物でさえ大切にしない子供たちがいる」ことに気付きました。
生徒につたえること
日本語のクラスルールのなかに「 Keep the classroom tidy.」があります。授業の終わりに掃除を促します。
- 落とし物チェック
- 消ゴムの消しかすを落とさないでゴミ箱へ
- ごみを拾う。自分のごみじゃなくても拾う。
- 机と椅子の整頓
最後に
自分の物も公共物も大切に扱い、きれいにする。そうすることで、物そのものやクリーナーの方々への感謝の気持ちが生まれることを願っています。